調布市立緑ケ丘小学校

ホーム > 学校紹介 > ビオトープ

ビオトープ

ビオトープ

今では考えられないほどようすが変わってしまったが、四十年ほど前、調布市緑ヶ丘のあたりは一面の湿地だった。 あちこちに「おかま」とよばれる、地下水が自然にわき上がる泉があって、子どもたちはタニシやドジョウを採りに行っては、深くて危ないから近づいたらいけないとしかられていた。中には、「じじばばたんぼに近づくな」ときびしく言われた子もいるという。「じじばばたんぼ」については、次のような話が残っている。  

 江戸時代、日照りが続いていねが育たなかったある年、このおかまに近い深い湿地にいねを植えようとしたおじいさんがいた。足場になる土と草の上に竹ざおをわたし、そこに足を踏ん張って田植えをしようとしたのだ。ところが、おじいさんは足を踏み外して、深い泥にはまってしまった。おどろいたおばあさんが、なんとか助けようとしたが、力が足りず、自分まで、逆に引きずり込まれてしまい二人とも沈んでしまった。あとには、「じじ」の笠と「ばば」の手ぬぐいが浮いていただけだったという。

 それから、このあたりでは、このような深い湿地を「じじばばたんぼ」というようになったそうだ。 その後、このような深い湿地は、周りの農民の努力で排水工事が進み、豊かな水田に生まれ変わっていった。しかし、緑ヶ丘団地ができるまで、周りはまだまだおかまや泉、湿地が広がっていたそうだ。この湿地には、先に書いたように、タニシやドジョウ、メダカなどが泳ぎ、何種類ものトンボがヤゴからかえり、浮き草やフトイ、アシ、セリなどの上をすいすいと飛びまわっていたという。四十年の間に、この町は明るい住宅地となり、風景はすっかり変わってしまったのである。

 最近、都市化の進んだあちこちの町で、昔の自然を取り戻そうという努力を続けている人たちがいる。ゴミ捨て場となっていた海ぎわの干潟をもくもくと片づけ続け、渡り鳥が休める楽園に変え、世界の環境を守る「ラムサール条約」の指定地にまでした人もいる。千葉県の谷津干潟が、その例だ。 このような大きな仕事とは別に、小さな水辺の自然を作って、少しずつ昔の自然を復元しようという動きもある。特別に、観賞用の庭園を造るのではなく、池を掘って、その周りに自然に生えてくる植物や、トンボなどの昆虫を育てていこうとする運動だ。自然自身が持っている復元力を信じて、小さな水辺環境をできるだけたくさん作ろうというのだ。 この「池」と、そのまわりの自然を「ビオトープ」とよんでいる。 「ビオトープ」とは、ドイツの言葉で、日本語にすると「生命の場所」「生き物の楽園」というような意味である。

 緑ヶ丘小学校の周りには、昔の湿地だったようすは残っていないが、「みんなの森」など、わずかに自然が残っている。水がきれい、というわけにはいかないが、仙川も流れている。白百合女子大学の中には、見たことはないが、わき水もあるらしい。まだ、タヌキもすんでいるという話も聞いたことがある。 そのせいか、秋から次の夏前まで使わないでほうっておくプールには、毎年、ヤゴがたくさん育つのだそうだ。 いったい何種類のトンボが卵を産むのだろう。 また、そのトンボの分布は、他の地域とどうちがうんだろう。 しかし、水泳のために清掃をして、たまっていた水は全部流してしまうので、ヤゴも下水管へ流れていってしまう。池があれば移してあげられる、いや、池自体で卵がかえり、ヤゴが育つ。緑ヶ丘の四十年前の自然のほんの一部を、池を造ることでよみがえらせることができるかもしれないのだ